理想的な社会のビジョンを誰も知らない-空気が支配する関係の崩壊と分断-
理想を知らなければ、理想を語れない。それはラーメンを食べた事がない人がラーメンを語ることができないのと全く同じことである。
そもそも、良い社会も悪い社会も実際に経験してみないことには想像しづらいだろう。
最近の暗いニュースばかり見ていると、日本人は一斉に生きづらい社会を作り始めているのだろうか?とさえ思ってしまう時がある。
過去に一度でも「理想とする社会で生活した」という経験があったのならば、イメージしやすいはず。
しかし現実は、実際に経験した事がない理想というあやふやなゴールに向かっているような気がしてならない。
あるいは、永久にゴールなんて見つからないものなのか
「それが先進国の宿命だよ」、と言われるのかもしれない。たしかに後進国、発展途上国は先進国という目指すべき目標があり、その計画なゴールに向かってアクセル全開で追いつこうと必死になれば良いのかもしれない。しかし先進国というのは一寸先は暗闇をコンパスも無しに舵を取らなければいけないという使命感がある。だがしかし、過去数年の政府の対応を見ていると行き当たりばったりな気がしてならない。
コロナ禍のGo To Travelとか皆さん覚えてます?
政府主導で一体何がしたいのか意味不明だった歴史に名を残すレベルの愚策。
トンチンカンな政策でツイッターでもかなり荒れていた。
要するに、国のビジョンが無いのである。あるいは、国のビジョンが一般国民のそれと大きくかけ離れている、という事なのだろう。
では我々、個としてのビジョンはどうだろうか?
個人の夢の話とかではなく、全体の中の一部としての我々(個人)は、共同体に対する理想的なビジョンを果たして持っているのだろうか?
話を社会(コミュニティ)に戻す。
多くの日本人にとって、社会(コミュニティ)とは会社、学校、家が基本となっている。
それ以外の空間、例えば地下鉄の中のような移動中、カフェやコンビニ、店内の隣の席、公共の空間などにおいては、コミュニティは形成しない。
当然と言えば当然だ、日本では。
この点に関しては、日本は欧米社会と大きく相違している。
特にアメリカでは信号待ち、バス停でも見知らぬ人と会話が始まる事があったりする。
しかし、一度でも海外生活した事がある人は分かると思う。
「なんか日本ちょっと違う」
コミュニティの形成されない空間では、他者は単なる障害物でしかなくなってしまう。
満員電車のトラブルなんか大体それが原因。
自分とは関係ない赤の他人だし、お互い関係を持ちたいとさえ思っていない。
何故なら、各人の生活するコミュニティは全く分離された別物だからです。
こういった分離(分断)をテーマに国などが主体的に取り組めば、より良い社会が形成しそうだが、国にそんな気は一切無いのがこの国の現状である。
それとも、この問題は国の力すら到底及ばないような、何か強力な支配力による影響なのだろうか?
だとすれば、果たしてその正体とは一体何だ?
可能性があるのが、おそらく、それは「空気」による支配というものだろう。
空気という名の支配者
日本では公共の場において、他人に迷惑をかけてはいけないし、静かにしないといけない。常に気を配っている必要がある。
特に法律に違反しているわけでも無いのに、何かその一線を超えてはいけないという暗黙の了解(ルール)がある。
空気読めという、見えない暴君。
いわゆる同調圧力というやつです。
先日、こんな出来事があった。
国立図書館に行った時、館内は音を出してはいけないという雰囲気で窒息しそうだった。
図書館なので静かにするのは当たり前である。しかし度が過ぎている。
ところが、PCで閲覧していると、向かいに若い女が座り、勢いよくけたたましい音と共に猛烈な勢いでタイピングし始めましたのだ。
いきなり空気のゲームチェンジャーの登場である。
筆者はイヤホンをしていて、音楽を聴いていたにも関わらず、集中が途切れるほどやかましく感じた。
斜め前で静かに本を読んでいた別の人は、静かに席を立ち、別の席へと移動していた。
これはかなり利己的で周囲に思いやりの無い考えの持ち主だと思った。
たしかに必要以上に静かにする必要はないが、さすがにこの女の行動は気遣いがなさすぎる。
空気とは対称となる人物があやふやだが、気遣いというのは特定の対象となる人がいなければ成り立たない。
つまりこの女からすれば周囲の人は、ただの障害物でしか無いわけである。そしてその原因となっているのが先程述べた通り、コミュニティが形成されていないからである。
「静かにしてください」というのは周囲の集団による亡霊のようなお願いがその場の空気を形成している。
電車内、飛行機、タクシー、カフェ、エレベーター、店、ラーメン店、学校、職場、ありとあらゆるシーンでそれは求められる。
しかし、そういった全体主義に対抗する考え方として「勝手に色々ルールを押し付けないでください」といった主張があっても良い。
今回の出来事はそういった主張があるわけでもなく、ただただ自己中な女がバリバリ仕事してますよ的な承認欲求を満たしながら、周囲の人に席を移動させても動じず、ふてえ野郎だなと思ったという些細な日常の出来事なのである。今日も日本は平和だ。
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