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東京まで約500km、約10時間のドライブに思ったこと -懐メロ音楽が記憶を呼び覚ます-

2024.11.15

東京まで下道だけのドライブ。出発時になると家出しているような背徳感が快感になり、病みつきになった。

いつもは運転中、ハウスミュージックやヒップホップなどのダンスミュージックを聴いていることが多い。大阪、奈良、三重、愛知。幾つもの街並みが通り過ぎて行く。

何時間運転しただろうか。同じようなダンスミュージックに飽きて来たので、少し趣向の違う音楽を聴いてみようと思った。

周囲がすでに暗くなっていた。人通りも少ない風景に、寂しさからか、無性に昭和のポップス(懐メロ)を聴きたくなった。自分が小学生の頃に聴いていた音楽だ。

選曲に迷ったが、カセットテープでよく聴いていた曲をSpotifyで検索し、目についた曲名をクリックした。信号待ちで止まった時に横の車に聞かれるのが恥ずかしいので、停車中はボリュームを下げる。

1人夜中に誰も知らない街をドライブしている時に聴く懐かしい曲。なんだかとても恥ずかしい。今のポップスと比べると昔の音楽を改めて聞くと、ダサいなと思いつつも聴いてしまう。色々な思いが複雑に混じり合う。何か自分の弱さを知られてしまうような、それを隠したい気持ちである。(なんとなくそんな気持ちありません?)

そんな恥ずかしさとは裏腹に、懐メロは自分を迎え入れてくれる。いつでも変わらない故郷の友人に再会したような感じだろうか。

懐メロは本当に不思議である。その曲を聴いていたときの思い出が蘇る。少年時代、目の前の全てがキラキラと輝いていたり、あの時の感情や希望、その時に思い描いていた夢などが目の前にありありと蘇った。カラオケで懐メロを聴くのとはまた少し違う。

ふと、小さい頃に考えていたことを思い出す。暖かい天気の休日で、ベランダで日向ぼっこをしていた。今とは違って当時の時間はとてもゆっくり流れていた。周囲からは騒音などもなかった。レコードをおもちゃにして遊んでいた。そんな記憶がありありと感覚として蘇ってくる。

自分がどんな気持ちだったのか、全てを思い出すことはできない。ただ、ぼんやりと記憶に感覚として残っているものが湧き上がってくる。幼いころ、将来どういう風になりたかったのか?感傷に浸りながら思い返したりもした。

ふと、こんなことを思った。自分は過去に夢として持っていたものがあった。では、なぜそれをしたいと思ったのか?自分の将来の夢として選択した、きっかけは一体なんだったのか?また、なぜその夢を諦めてしまったのか?

幼い頃、将来どうなりたい?と聞くことはあっても、具体的に「あなたは5年後10年後どうなっていたい?」と聞くことはあまり無い。幼少期において、将来とはまださして年月を経た経験したことがないことから「曖昧な未来」だった。将来が実際に訪れるのか未知不明な概念だった。ぼんやりとした未来、というニュアンスを含んでいたのだ。

それに対して、40-50代の人に対して具体的に「5-10年後にどうなりたいか?」と聞くことはあっても、「あなたは将来どうなりたいか?」とはあまり聞かないだろう。幼少期における、「将来という未知なる時間的な概念」だったものが、大人になるにつれて、時間という感覚は変容していく。5年や10年といった年月が、いずれ現実として訪れるのだ、ということを感覚的に理解できるようになった。

いつのまにか大人になってしまったんだと、しみじみ思ってしまった。懐メロが気づかせてくれたこと、それは過去の自分は、間違いなく自分自身だったということを再確認できる。そして過去と今は繋がっているということを再認識できた。また、時間とは一体何なのか?改めて考えさせられる。

たまには懐かしい音楽を聴いて、過去の自分を掘り起こすことことも面白い。音楽は時間芸術と言われるだけに 時間に対する感覚を研ぎ澄ませてくれたのかもしれない。

音楽懐メロ,,時間,音楽

Posted by AKIRA