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「ヤバい」の起源、万能性、多発する若者の裏に潜む思い-救済を求めるオーマイガーなのか-

2024.4.15

そもそも「ヤバイ」が生まれたきっかけとは、タレントの出川哲朗さんがTVのバラエティ番組で頻繁に発言していたので有名になったのだ。

おそらく今の若い人は当時、まだ子供の頃にお茶の間で出川さんが「ヤバいよ、ヤバいよ」と連呼していた事が耳に馴染んだのだと思う。

かつて、出川さんは「抱かれたくない男/気持ち悪いおっさん」としてのイメージがマスメディアの影響で強かったのは皆さんご存知だろうか?

しかし、年齢を重ね、今となってはテレビやCMなどでは好感度の高い「可愛いおじさん」として認知され国民的な愛されキャラとなった。

そんな出川さんが発端である言葉であるが、街を歩いていると、「ヤバっ」という言葉を至る所で何度も耳にするようになった。

だがしかし、「ヤバい」という耳から入る単体の情報だけでは、それが一体何を意味するのか全く検討がつかない。良いのか悪いのかさえもシチュエーションによって変わってしまうからだ。

英単語にすると、
良い意味ではGood Great Fantastic Crazy
悪い意味ではBad Disgastingなどの意味を持つ

また、「ヤバい」という言葉は、あらゆる自分の感情や、社会現象、人やモノに対して使える。「ヤバい」という3文字だけで表現できる万能の言葉となったのである。

ヤバいは、もはや形容詞としての範疇を超えている。

ヤバいと発言する人は、自分の高揚感を周囲に伝達しよう、としている密かな意図がある。

これについて、深く考察してみる。

「ヤバい」と発言する時、実は、本人が「その感情の詳細」までは周囲に知られたくない、という内なる思いが少なからずある。

なぜなら、周囲と自分とでは、「価値観が全く異なる」という前提認識を持っているからだ。

それを言い換えると、暗号のように「わかる人にだけわかれば良い」といったニュアンスを含んでいる。

もし、その時の感情を「ヤバい」ではなく、「的確な表現による言葉」による発言」をしてしまった場合はどうだろう?

発する言葉というのは、実はそこに様々な補足的な情報を帯びている。

発言した言葉からその人の、出身地、性格、感情、気分、語彙力、あるいは知識レベルまで世間に晒されることになりかねない。

しかしヤバいには、補足的な情報を外部に漏らさないためのモザイクをかける事ができるのだ。

というこれはある意味で、ネット通信における、VPN(代理アドレス)のような、周囲の自分の素性を知られなくても通信できるよう仕組みに似ている。つまり素性を知られないというメリットがあるのだ。

自身の素性を周囲に推測されるのを無意識に避けている、という内なる思いはないだろうか?ここでポイントなのは、無意識に行なっているという点だ。

また、別の角度からヤバい発言にについて考察しよう。それは、シンプルに語彙力が低下している。これはスマホが原因になっているだろう。

単純に自分の感情や、状況を的確に表現できるだけの言葉を知らないのだ。瞬時に言葉として発言できないほどボキャブラリーが低下している。

この語彙力の無さが「ヤバい」しか発言しない人が大量発生している理由であれば、それこそ「やばい」現状である。(ちなみに筆者もよくヤバいを使うので偉そうに言えたものではないが)

ところで、この「ヤバい」という言葉は、英語のOMG(オーマイガー)と似ている。

もはや「ヤバい」は英語でいう「Oh my God 」のニュアンスも含み始めているのではないか?

英語圏の人はよく「オーマイガー」と発言する。嬉しい時も、ビックリした時も、危ない時も、ネガティブにもポジティブな表現にも使える。

なんだかヤバいに似てません?今まで、オーマイガーを日本語に訳すとき、そのまま使える言葉は存在しなかった。

「ヤバい」という言葉は何か対象に対して「ヤバい」と言っている訳ではなく、自分の気持ちが揺さぶられたことに対して、それを認知あるいは、救済を求めるという意味が込められている。

その点においても、ヤバい=オーマイガーという図式が成り立つのではないか?オーマイガーにはgodという単語が出てくるが、別に言葉通り神に対して発言しているわけではないはず。

思わず無意識に出る言葉、それがオーマイガーであるならば、益々、ヤバい=オーマイガーが同じ意味としての機能を持ち始めたと言える。

かつて、2000年前後に「チョベリバ」というギャル語が渋谷を起源に流行った時期があった。チョベリバとは超ベリーバッドの略だ。

少なくとも「チョベリバ」からは、ネガティブな表現、最悪という意味がわかる。また、今にして思えば可愛らしい言い方だった。

それに対し、何にでも「ヤバい」と表現することについては、感情表現として寂しい表現だなあと思う、今日この頃でである。

コラム

Posted by AKIRA